Quatre Amoursの日記

一人のクリスチャンが聖書や社会について考える

ドゥルーズを読む視点

ドゥルーズについて
2005年11月19日


始めに

ドゥルーズは一般にポストモダニズムの哲学者だと言われている。ここではポストモダニズムという用語を、モダニズムに対抗する価値を創設し、モダニズムを超克するパースペクティブを切り開いた、という意味で解すのがよいだろう。例えばモダニズムとは、自由と必然、意識と存在、精神と身体、理性と感性、個と全体、人間と自然、等々という一連の二元論によって構成されている。このような近代的パラダイム、もしくは西洋「形而上学」を、批判・吟味し、別なパースペクティブを提示し、「価値転換」を図るのがポストモダニズムであると言えるだろう。このようにポストモダニズムを考えると、モダニズムの完成はヘーゲルであり、マルクスニーチェフロイトフッサールハイデガーなどという人物は、皆それぞれの仕方でこのヘーゲルモダニズムからの「超克」を志向した人々だと言える。所謂「現代思想」の起源として、彼らの名前が挙げられる理由である。


私はこれからドゥルーズについて語ろうと思うが、その際、ドゥルーズについては殆ど語らないだろうと思う。今予定しているのは、坂口安吾武田泰淳林達夫花田清輝であるが、彼らについて語りながら、私なりのドゥルーズ像を話してみたいと思う。そこで念頭に置いている「ドゥルーズ」とは、『アンチ・オイディプス』や『ミル・プラトー』のガタリと一緒のドゥルーズではなく、また後期の『襞――ライプニッツバロック――』や『スピノザ――実践の哲学――』のドゥルーズでもなく、『差異と反復』のドゥルーズである。大まかにドゥルーズの著作を整理すれば、モダニズム(「表象=再現前化」)を超克するパースペクティブ(「差異と反復」)を切り開いて「価値転換」を図ったのが『差異と反復』及び『意味の論理学』で、その後は、いったん切り開かれたパースペクティブを深め、哲学以外の領域と接続し、そしてより緻密にその地平を描くことに賭けられていたと思う。たとえて言えば、山登りをしていてついに山の頂上に到達したというのが『差異と反復』で、そこには、モダニズムを超える苦しみと、到達した感動、そして山下に広がる新しい地平が存在している。その後の著作は、山を下り、その地平をくまなく歩き回るだけで、山を登るときのような気持ちの張りがなくなっているように思える。それらの著作は、確かにモダニズムを超える地平を細かく描かれているとは思うが、「価値転換」に伴うような緊張感や凄みや意気込みがなくなっていると思う。『差異と反復』には「価値転換」にともなうせっぱ詰まった感じがあり、私はむしろそこに興味があるので、私が語ろうとするドゥルーズは、『差異と反復』の「ドゥルーズ」である。


笑い

林達夫ベルクソンの『笑い』の解説で、ベルクソンが分析した笑いはモリエール的な古典的な笑いで、ラブレー的哄笑やミハエル・バフチンの言うようなカーニヴァル的な笑いは抜け落ちていると語っている。しかし林は、ベルクソンに後者の笑いを分析する可能性は存在したのであり、『道徳と宗教の二源泉』における「閉じた社会」と「開いた社会」の両概念は、まさに、モリエール的な笑いとカーニヴァル的な笑いに対応していると言っている。林は二つの笑いの違いを次のように語っている。

 

比較的気軽な気持ちで書いたふしのあるわが『笑い』は、結局、閉じた社会、つまりエスタブリッシュメントの風俗喜劇とその本来の職能――「人間の悪習を矯正する」(『タルチュフ』の「序文」)――との正当化の試みに終始していたとすれば、もう一つの書かるべきはずの『笑い』は、生の躍動(エラン・ヴィタール)――本来人間の前進と突破と解放とにどこかでつながり、生の充溢、「生」(それはここでは「性」に置き換えてもよい)のエネルギーの発散を旨とする、言ってみれば、あらゆる社会的タブーを蹂躙しあらゆる法や拘束を無視する、謂わば反体制的な「笑い」である。(「ベルグソン『笑い』解説」)

 

言い換えれば、閉じた社会、あるいはモリエール的な笑いとは、社会規範・習慣・法といった人間を拘束するものを、支持・正当化し、強化するものなのに対し、開いた社会、あるいはカーニヴァル的笑いとは、エラン・ヴィタールによるその拘束の蹂躙と破壊なのである。ブルジョワ的な笑いと、民衆的な笑いとの違いでもある。


花田清輝は、この二つをフラン・ヴィタールとエラン・ヴィタールとの対立と捉え、その対立を、対立のまま統一したところに、「ガルゲン・フモール」というもう一つの笑いを打ち立てる(「ユーモレスク」『アヴァンギャルド芸術論』)。ガルゲン・フモールとはドイツ語の表現で、ガルゲンとは絞首台、フモールとはユーモア、日本語では「窮余の諧謔」「曳かれ者の小唄」と訳されている。花田は、ガルゲン・フモールという言葉には、日本語に訳された際の意味のような感傷は含まれず、むしろ利害打算を超越した凄みを感じると言い、例として魯迅の『阿Q正伝』を挙げている。そしてガルゲン・フモールとは、悲劇的なものを喜劇的に、喜劇的なものを悲劇的に捉え、一切の価値を転換することによって生まれるという。ガルゲン・フモールは、英雄主義と反英雄主義を、精神的なものと肉体的なものを、崇高なものと野卑なものを、美しいものと醜いものを、そのように様々な異質で、相互に対立しているものを、まさに対立し闘争しているままに、雑然と一挙に共存させるのである。それはコスモスではなく「アンチ・コスモス」の世界である。花田はそれを、ヒエロニムス・ボス、ピーテル・ブリューゲルらのバロック絵画、ピランデルロらのイタリアの「グロテスコ派」演劇に見ている。彼らの作品世界では、フラン・ヴィタール(法律、習慣、伝統、因習、道徳、など)とエラン・ヴィタール(本能、感情、欲望、衝動)といった相互に対立しているものが、決して「融合」することなく、また決して「均衡」を保つことなく、その対立と闘争を保ったまま結合している。そして花田は、それこそ「現実」なのであり、彼らの関心事は、その「現実」なのだと言う。ロマン主義者にとってはエラン・ヴィタールが唯一の現実であり、古典主義者にとってはフラン・ヴィタールが唯一の現実であろう、しかし「グロテスコ派」にとっては、どちらもが現実であり、どちらもが幻想であり、それが「現実」なのである。それ故彼らは、常に、「浪漫的現実に対しては、古典主義者として――古典的現実に対しては、浪漫主義者として立ち向かい、浪漫的なものと古典的なものとの対立を、対立のまま、統一することによって、ガルゲン・フモールのみなぎっている、独自のバロック世界を形成するのである」。そういう彼らは、ロマン派でも古典派でもなく、ただ「現実派」なのであり、ガルゲン・フモールとは、この「現実」を肯定する笑いなのである。


花田清輝が「ガルゲン・フモール」と言っているのと同じことを、坂口安吾は「FARCEファルス」(道化・笑劇)と言っている。彼はファルスを次のように言っている。

 

ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残らず肯定しようとするものである。凡そ人間の現実に関する限りは、空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである。ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらにまた肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするものである。諦めを肯定し、溜息を肯定し、何言ってやんでいを肯定し、と言ったようなもんだよを肯定し――つまり全的に人間存在を肯定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、途方もない矛盾の玉を、グイとばかりに飲みほすことになるのだが、しかし決して矛盾を解決することにはならない。人間ありのままの混沌を永遠に肯定し続けて止まないところの根気の程を、呆れ果てたる根気の程を、白熱し、一人熱狂して待ち続けるだけのことである。哀れ、その姿は、ラ・マンチャドン・キホーテ先生の如く、頭から足の先まで、ridiculeに終わってしまうとはいうものの、それはファルスの罪ではなく人間様の罪であろう、と、ファルスは決して責任を持たない。(「FARCEに就いて」)

 

さて、私は、花田清輝の言うガルゲン・フモールにしろ坂口安吾の言うファルスにしろ、とても人間業とは思えないのである。花田清輝はこれを、マルクス主義の立場から、「近代の超克」を目指して、また「日本的なもの」の批判を目指して語り、坂口安吾はこれを、一つの倫理として語るという違いはあるが、ガルゲン・フモールもファルスも、人間のちっぽけな主体性や意識や自由などといったものをこっぱみじんに解体するような、ある絶対的「現実」の肯定を語っているのである。その「現実」とは、その前で自己がまさに消滅してしまうある絶対的他者性であり、もはやそこには「人間」は存在しない。そこには、フラン・ヴィタールとエラン・ヴィタールとの対立・闘争、様々に矛盾し合い不合理な人間と世界、ただその「存在」のみが存在するのである。そのような「存在=現実」の肯定の中で見いだされる「多様性」が、我々がしばしば聞かされる、「みんな仲良くしましょう」「お互いの違いを尊重しましょう」「多様な意見を認め合いましょう」「人権を守りましょう」という学校教育以来の一連の標語で語られる多様性と、まったく縁もゆかりもないことは言うまでもない。それは全くの「日本的なもの」である。空虚な観念として「人権を守ろう」という標語を反復することは簡単である、しかしその観念を現実の中で実現しようとすることは難しい。我々はその中で傷つき、挫折する。しかし、「現実」の肯定とは、そのように深く挫折することからでしか現われないのであり、しかもその際、人は激しい知的緊張を伴うのである。混沌とした「現実」を肯定することは、意識が混沌とすることとは違うのだ。

 


意識の外部

「日本的な」感傷や諦念や空虚や生ぬるさ――つまりそういった「意識」の外部性こそが、ガルゲン・フモールやファルスで肯定される絶対的な「現実」なのである。坂口安吾はそれを「文学のふるさと」と呼び、花田清輝はそれを「物自体」と呼び、武田泰淳はそれを「限界状況」と呼ぶ。


坂口安吾は「文学のふるさと」を、モラルのないもの、自己を突き放すものだと言う。「モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学としては成り立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ」。それは絶対的孤独であって、どのような救いもなく、慰めもない。ただただ、不条理な運命の中で見いだされる孤独のみがある、そしてそれが「文学のふるさと」なのである。安吾狂言芥川龍之介伊勢物語と三つの物語を例に挙げ、次のように言う。

 

それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
私は文学のふるさと、あるいは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。(「文学のふるさと」)

 

 

 

ここにはファルスによる「現実」肯定と、戦後の『堕落論』における、生存を意味づける超越的価値の否定と「堕落」の肯定に通じる視点がある。自分が今まで信じていたある「価値」(モラル)が、ある時もろく崩れ去ってしまい、そこに空白(=孤独)が生まれる。人は激しく傷つき、挫折する。その時人は自殺を思うかもしれない、そして実際、自殺するほうが、モラルにも適い、美しいかもしれない。しかし安吾は、「モラルがないということ自体がモラルである」という逆説によって、生きることを主張するのである。そこでは生は、徹底的に無意味である。しかし、その無意味なものとしての「生」は、傷つき、挫折した後に初めて見いだされるのであり、その限りでそれは、意識の外に不意に現われた「現実」、まさに自分ではどうすることもできない「現実」である。『堕落論』では、この「生=現実」は、国家という超越的価値に基づいて生きることからの「堕落」として捉えられるが、しかしこの「堕落」こそが本物なのだ、と言う。モラル(超越的価値)のない生き方、それは確かに「堕落」ではあるが、しかしそれが人間の真実なのだ、と。この「堕落」肯定に、ファルス的な「現実」肯定が生きているのは明瞭だろう。しかし我々は果たして挫折するか? 安吾の言う絶対的孤独、無意味なものとしての生、堕落、それらはいずれもある挫折、ある喪失を待って初めて見いだされる「現実」である。しかし我々は、そのような挫折をしうるか? これは後に話すことにする。


花田清輝は「物自体」という言葉によって、「人間」を否定する冷たい現実、物質の即物的な様態を指し示している。例えば『ドン・ファン論』では、モリエールの『ドン・ファン』像に反対して、ドン・ファンは、女の肉体に次々と魅了された人物ではなく、「肉体を、むしろ、物体として取り扱う」人物であり、「性的欲望によって、少しも影響されず、鉱物を分析する場合のように、どこまでも即物的に、相手の性状を、余すことなく究明する」人物だと考える。ドン・ファンは、人間的なものよりも無機的なもの、生物よりも無生物、動物や植物の示す曲線よりも鉱物の示す幾何学な直線に激しい熱情を持った、「鉱物中心主義」の人間だというのである。つまり、ルネッサンス以降ヨーロッパで支配的だった「人間中心主義」を否定する、「鉱物中心主義」である。要するに、花田の言う「物自体」とは、「人間的なもの」を否定する「幾何学的・無機的なもの」である。しかしながらまた、「物自体」は「観念のヴェールを透さず、直接自然に対決し、理論によって割り切れないもの、類によって溶解されない個、それ自身において独自なもの」とも言われる。従って、「物自体」とは、自我の外部にある冷たい現実、あらゆる人間的な感情や情緒を廃した物質的なただ「在る」という現実、幾何学的・無機的そして数学的に捉えられる抽象的現実であり、そしてまた、それ自身で独自な固有の対象なのである。例えば『林檎に関する一考察』では、アンドレ・ブルトンが、イデオロギーに関してではなく鉄鋼の生産量その他の統計資料を調査することを命じられたことに不満を漏らしたというエピソードを用いて、イデオロギーよりも鉄鋼の生産量のほうがはるかに興味のある対象であり、「20世紀のジャンヌやテルであったなら、鉄鋼の生産量から、たちまちイタリアにおけるファシズムの台頭を、即物的に把握した」だろうと結論づける。ここでは、「イデオロギー」=人間的なものに対して、「鉄鋼の生産量」=物自体(非人間的・幾何学的・無機的なもの)と捉えられている。人間の自由や意識や愛情などというものとは無関係に、ただ即物的に動き、自動的に反復し、同じリズムを刻み続ける、ある即物的な「現実」、それが花田清輝の言う「物自体」であり、そして彼の言うマルクス主義者は、「人間」などよりも、そのような「物自体」に興味をそそられ、それを探求していこうとする人間なのである。『マザー・グース・メロディー』で彼は、「本当の悪人」とは何かを問題としているが、この文章で言外にほのめかされているのは、マルクス主義者は「本当の悪人だ」ということである。彼は次のように言っている。

 

おそらく本当の悪人が、好んでマザー・グースの童謡を取り上げるのは、それがナンセンスであるからだろう。ナンセンスというのは、センスの否定であり、「無意味」というよりも、ボン・サンス(またはグッド・センス)によって、がんじがらめに縛られない前の我々の心の状態を指す言葉だ。つまり、それは、童心の世界、本能の命ずるがままに、不羈奔放に我々の生きていた世界――我々の心の故郷を形容する言葉だ。……。
むろん、本当の悪人は、とうの昔、心の故郷など失っている。彼がナンセンスな表現を問題にするのは、ボン・サンスの世界から逃避したいためではなく、ボン・サンスの世界を、ぶちこわしたいためなのだ。悪事を忘れたいためではなく、悪事をはたらきたいためなのだ。したがって、わたしには、ナンセンスには二つの種類があり、一つのほうは、今も言うように、ボン・サンスによって拘束されない前の本能だとか、無意識だとかの支配している、我々の内部の現実を指すのだが――しかし、もう一つのほうは、ボン・サンスの拘束を超越している状態とでもいおうか、極度に先鋭な理知も、その前に立つと、たちまち眩惑を覚え始めるような、物それ自体の姿を示す、我々の外部の現実を指しているように思われる。本当の悪人の好むナンセンスが、前者ではなく、後者であることは断るまでもあるまい。その場合、マザー・グースの童謡は、心の故郷ではなく、物の故郷を――とうてい、ボン・サンスではとらえかねるような、物質的現実の姿を、あるがままに、表現しているのである。(『マザー・グース・メロディー』)

 

花田清輝の言うマルクス主義者とはこのような「本物の悪人」であり、それはボン・サンス(良識つまりフラン・ヴィタール)に拘束される以前のナンセンスを、しかも「心の故郷」を示すようなナンセンス(欲望・本能・無意識つまりエラン・ヴィタール)ではなく、「物の故郷」を示すようなナンセンス(「物自体」)を愛好する人間なのである。ところで、花田清輝にとってこのような人間は、決して冷静な人間ではなく、情熱的な人間なのである。情熱的に物質に没頭し、幾何学に没頭するのである。そして、「物自体」と直に向き合っているとき、まさに「物自体」と直面する限りにおいて、「自由」と「決定論」という問題は消滅する(『ドン・ファン論』)。これはある意味で、「自由」と「決定論」を人間をスタティックな存在者と見なすモダニズムから生まれた問題と見なし、「近代の超克」を、人間をダイナミックな「生成」において捉えることで遂行しようとする発想だと言える。


武田泰淳は、意識を否定するものを「限界状況」と呼ぶ。これは坂口安吾の「文学のふるさと」に近いが、武田の場合、「限界状況」が絶対平等という一種の宗教的感情に通じる契機になっている点で異なる。武田は、『限界状況における人間』で一つの寓意を語っている。それはアフリカのある相互に敵対する部族のことで、彼らはお互いに相手の部族を憎んでいるが、ある時、両部族とも奴隷船に収容されたことを契機に、彼らは、初めて自分たちが平等な存在だということに気づいた、というものである。「危機と矛盾がぎりぎりのところまで来る、つまり限界状況になって初めて、彼らは、自分たち捕らわれたものが平等であったことを発見する。」そして武田は、自身の中国大陸で向かえた敗戦体験を語る。それは「滅亡」という限界状況であり、それを契機に、日本人は平等観に目覚めることができたはずなのであった……。彼は次のように語る。

 

私たちは、敗戦を知らぬ国民には、とうてい味わえないものを味わった。「アジアの指導者」から、一人間に引き戻された。そしてはじめて、地球上で自由な権利を主張できるのは、日本人ばかりでないことを骨身にしみるまで、知らされたのである。それは、あらためて自分を発見し他人を発見することによって、傲慢な孤立から、ゆったりした平等観に移行できる絶好のチャンスでもあったはずだ。その意味では、敗戦の経験は、単に政治的、経済的なものであったばかりでなく、むしろ宗教的なものだったはずなのである。(『限界状況における人間』)

 

 

 

ネットの文字では分からないが、「あったはずだ」の「はずだ」と、「宗教的なものだったはずなのである」には傍点が付されている。つまり、武田泰淳は、人間の絶対平等という境地に、敗戦という「限界状況」を経験することで、日本人は到達できるチャンスがあったにもかかわらず、その機会を日本人は逃してしまった、と言っているのである。何故そうなってしまったのだろうか? これについて武田は明確には語っていない。彼は当時出版された、三光作戦を反省する日本兵戦犯たちの手記を集めた本を問題とし、それに答えようとしている。その本の手記のいずれもが、余りにも性急に自らの反省を認めている、そこに武田泰淳は、「しみじみと罪を認めたというよりは、罪を認めたと他人に認めさせたい、欲望のほうが先にちらついていた」と、戦犯たちの内的動機を分析する。本当に回心したかどうか、罪を感じたかどうかはどうでもよい、それよりも、自分が「回心した」と他人に見せ、いち早く現在の状況(収容所に入れられている)から脱出しようとする、功利的なエゴイズムが先行している、そう武田は見ている。これは、所謂「常識人」からすると奇妙なことを言っていると思われるだろう、例えば現在でも、多くの人間は、ある事件の「容疑者」(まだ犯人と確定していなくとも)に「謝罪」を求める。そこでは、彼が本当に罪を感じたかどうかは問題とされない、ただ形式的に謝罪をしたかどうかが問題とされるのである。武田泰淳が言っているのは、この場合、「私は自分が悪いと思っていない」と言うほどの、自分の良心に対する誠実さである。自己の自己に対する誠実さ。この誠実さなくしては、どんな「極限状況」に遭遇しても、真に反省するということもあり得ないし、それ故、絶対平等観に到達することもあり得ない。何故なら、彼らは「形式的に」反省するだけで、実は悪いとも何とも思わないからである。言い換えれば、彼らは決して傷つかないし、挫折もしないのだ。しかしそもそも、彼らは「極限状況」に遭遇しうるのだろうか? 私が言うのは、敗戦のように客観的に「極限状況」だという意味ではない、もっと主観的な意味である、即ち、彼らは極限状況を「極限状況」であると感じることができるのだろうか? そう、これは、先に安吾の「文学のふるさと」を問題とした際取り残しておいた、人は挫折しうるのかという問いと同じである。次はそれに話しを移そう。

 


持続と切断

坂口安吾は『茶番によせて』のなかで、ファルスを合理性との観点で論じている。彼は次のように述べている。

 

正しい道化は人間の存在自体が孕んでいる不合理や矛盾の肯定から始まる。警視総監が泥棒であっても、それを否定し揶揄するのではなく、そのような不合理自体を、合理化しきれない故に、肯定し、丸呑みにし、笑いという豪華な魔術によって、有耶無耶のうちにそっくり昇天させようというのである。合理の世界がさんざん持て余した不合理を、もはや精根尽き果てたので、突然不合理のまま丸呑みにして、笑い飛ばしてしまおうというわけである。
だから道化の本来は合理精神の休息だ。(『茶番について』)

 

つまり安吾は、ファルスというのは、人間や世界の不合理性を、単に肯定する、というのではなく、とことん合理的に世界を認識していき、そして最後の最後のところでどうしても合理的でないある「不合理性」に直面して、それを笑いをもって肯定するものである。言い換えれば、ファルスとは単なる非合理主義者、単なる現状肯定ではなく、合理主義者が、とことんまで合理的に認識を積み重ねていった結果、それでも余ってしまった「不条理」の肯定なのである。それは本質的に合理精神のたまものなのだ。「道化は浪費であるけれども、一秒先まで堂々とため込んできた努力のあとであることを忘れてはならない。」ファルスとは、ある意味で、合理主義者にのみ許された特権なのである。ファルス的「現実」肯定とは、持続し続けた合理性が、不合理性に直面してふっと停止=切断したところに成立するのである。先ず始めに、合理性の持続があるのである。これなくして持続の中断、そしてファルス的笑いというのはあり得ない。人が傷つき、挫折し、「文学のふるさと」としての絶対的孤独に遭遇するのも、持続が不意に切断されてしまうからである。持続がなければ、そもそも挫折も、孤独も、空白も、ショックもあり得ない。


持続の不意の切断――それを武田泰淳は、「すべての物は変化する」という仏教の定理として語っている。武田は、あるエピソードを挙げ、変化の瞬間にこそ人はお互いを人間同士だと実感するということを例証する。そのエピソードとは、彼が九州の炭坑を見に行ったときのことで、彼はもちろん、坑夫についてあるイメージを持っていた。しかし実際に炭坑にいってみて、その坑夫についてのイメージが変わった――その変わった瞬間、武田泰淳は、坑夫と人間的に結びつく、と語る。

 

そのお弁当を食べている炭坑夫たちは、決してお互いに喋りあったりしない。ただ、黙って、黙々として、目に見えないようにお弁当を食べているのであります。我々のほうが笑ったり、叫んだりして非常に騒がしいのでありますが、実際に働いている人は、実に静かだ。私が、今まで持っていた炭坑夫に対する考え方、炭坑夫というのは、乱暴者で、酒ばかり飲んで暴れ者であるというのが、そこ(炭坑)へ入って初めて変わった。
こういうことは、実際に行ってみなければ分かりませんが、しかし、行ってみて、考え方が変わるという瞬間に、私は初めて、人間的に炭坑夫と結びつくことができるわけです。(『諸行無常の話し』)

 

何が重要なのだろうか? はじめから先入観など持たないのがいい、というわけではない。先入観を持つのはある意味必然的である。重要なのは、先入観が、実際の経験によって「変化した」、これである。この「変化」――持続の切断、この一種の「限界状況」、これによって初めて人は他者を理解するのである。


安吾のファルスが、合理主義の果ての「非合理」の肯定であり、まさに「日本的な」単なる非合理の肯定(ユング河合隼雄系)とはまったく異なっているのと同じように、武田の語る諸行無常も、「日本的な」詠嘆とはまったく異質である。武田の語る諸行無常は、謂わば持続あっての「切断」(変化)なのだが、「日本的な」無常観は、持続するものなきままの単なる「変化」なのである。彼は次のように語っている。

 

「すべての物は変化する」という仏教の定理を、『平家物語』が説くように、諸行無常のうらさびしさ、ものの哀れの詠嘆とのみ判断するのはまちがっている。滅亡が変化の一部であるように、発展もまた変化の一部なのであるから。変化の相(真の姿、裏側のかたち)に触れたとき、人間はショックを受け、極限状況の壁の冷たさを感得する。だが、そのことは、決して、万事がそれでお仕舞いになったことを意味するのではない。むし、万事がそこから新しく始まることを意味するのである。(『極限状況における人間』)

 

武田の語る諸行無常は、まさに変化に接したとき「ショック」を受けるのである。それは、持続あっての不意の切断である。しかし「日本的な」無常観は、むしろショックを受けないための装置である。持続もなければ切断もなく、それ故ショックも受けない、ただすべては変化するのみ……。それは武田の語る諸行無常とはまったく関係がないし、むしろ武田は、そのような「日本的なもの」を否定しようとしていたのだと言える。


花田清輝について私は、彼は、情熱的に「物自体」に向かっている限りにおいて、自由と必然という古典的対立は解消される、それは、自由(偶然)と必然という「存在的なもの」に対し、「生成」を中心に据える方法だ、と語った。花田がこのように述べている箇所の背景を説明すると、先ず花田は、スピノザとシェストフの石の落下についての認識を問題とし、スピノザは「石自身は、あくまで自由に、地上に向かって落下していると信じている」と考え、シェストフは「石が、自分のことを、いささかも自由ではなく、単に必然の法則に縛られて落下しているに過ぎないと信じている」と考えていると紹介する。そしてドン・ファンは、(彼を招待する)石像と似ており、「非常冷酷であると同時に、自由奔放でもある我々の主人公は、まさしく動く石像に他ならなかった」のであり、ドン・ファン=石像=石は、スピノザ・シェストフ両方の認識とは異なり、「おのれの運動を、必然の法則に従いながら、しかも自由であると信じているらしい」と語る。しかしこのように自由と必然が両立するのは、「彼自身と物自体との直接無媒介的な対決を透して生まれてきたものであり、必然の法則に従えば自由であるという公式だけを信じ、物自体との対決を避けて通ろうとする人々との自由や必然とは、厳密に区別されなければならない」。ここで「物自体との直接無媒介的な対決」を透して生まれる、私が「生成」と述べた、自由と必然が両立する状態は、今まで使ってきた語彙で言うと「持続」である(あるいはむしろ「純粋持続」である)。花田は、「物自体」に向き合い「持続」に参入することを要求し、「持続」から距離を取っている人間を否定する。これはある意味で、武田泰淳の「日本的な」無常観の否定と通じているし、坂口安吾の単なる「非合理主義」の否定と通じている。彼らは皆それぞれの思考によって「日本的なもの」の否定をおこなおうとした。

 


私が『差異と反復』を読んだとき

これまで何度も「日本的なもの」という表現を用いながら、花田清輝坂口安吾武田泰淳それぞれが各々の見た「日本的なもの」を否定してきた、と語ってきた。それは、花田清輝にとっては「人間」であり、坂口安吾にとっては単なる「非合理主義」であり、武田泰淳にとっては『平家物語』的な「無常観」である。


私が『差異と反復』を読んだとき、私はその本を、「日本的なもの」を否定する思想だと受け取った。今考えると、それは「ポストモダン」と言ってよいと思う。つまり僕は、ドゥルーズを、「日本的なもの=ポストモダン」を否定する哲学者だと思ったのである。しかしもちろん、書店に並んでいるドゥルーズの解説本では、彼は現代のポストモダン社会を、つまり弛緩して必死さが欠如し、生ぬるいヒューマニズムが幅をきかせ、思想を相手を説得するためだけの方便だとする相対主義が中心の、ポストモダン社会を肯定する人間だと語られており、私は困ってしまった。「日本的なもの=ポストモダン」を否定する思想が、何故「ポストモダン」を肯定する思想として受容されているのか、私はこのずれをどのように語ってよいのか分からないので、ずっとドゥルーズについて語るのは控えてきた。


おそらく、ドゥルーズポストモダニズムとは、ちょうど坂口安吾のファルス的な肯定と同じなのである。坂口安吾のファルスとは、徹頭徹尾合理主義的に認識していった果てに見いだされる、ついに合理化しきれないある不合理を前にして、それを笑いをもって肯定することである。つまり、徹底した合理主義の果ての「非合理」を肯定するのだ。ドゥルーズの「差異」の肯定も同じである。プラトン以来、差異は「分割」(プラトン)によって、あるいは「表象=媒介」(アリストテレスライプニッツヘーゲル)によって、ずっと超越的な審級に統合されてきた。そのように統合しようとする執拗な努力の果てに、ついに統合不可能な剰余として「差異」は発見されるのであり、肯定とは、このような「差異」の肯定である。安吾のファルスが単なる非合理の肯定ではないのと同じように、ドゥルーズもまた単なる差異の肯定ではない。分裂病者の描写は分裂した描写と同じではないのだ。


同じことは、ドゥルーズの他の概念、生成、多様性、反復、大文字の「存在」(翻訳では《存在》と記されている)、などについても言える。それらはことごとく「日本的なもの」を連想させる。例えば、生成――「時は流れる」、多様性――「みんな仲良くしましょうね!」、反復――「何したって変わらない、いつも同じさ」、……。しかしドゥルーズがそれらの概念を語るとき、「日本的な」たるんだ精神、諦念、似非ヒューマニズムとはまったく関係なく、もっとはるかに情熱的に、緊張し、必死なのである。つまり、持続があるのである。


例えば、反復・純粋持続・生成・永遠回帰について考えてみよう(第二章「それ自身へ向かう反復」)。これは、自我も他者(他我)もない、ある絶対的外部の肯定である。自我も他我もないからといって、それは所謂「世間」ではない、むしろ「世間」を破壊するものである。自我も他我も粉砕し、解体し、あるいは殺すような、そういう絶対的外部性の肯定であり、これは、本当に決死の覚悟で、情熱的に、しかも冷静におこなわれるべきものである。ここで我々は、花田清輝を想起すべきだろう。というのも、花田が語る「物自体」が、私にはもっともドゥルーズ的だと思われるからである。既に語ったように、花田のガルゲン・フモールは、フラン・ヴィタール(規範的なもの)とエラン・ヴィタール(本能や欲望)とを、対立したままに統一するようなものである。『アンチ・オイディプス』で描かれているような、神経症分裂病、モル的なもの/分子的なもの、オイディプス的なもの/欲望、などという二項対立や、あるいは『差異と反復』の表象/差異などという二項対立を見ると、ドゥルーズを単に、フラン・ヴィタールに対するエラン・ヴィタールの賛美者と考えてしまうこともあり得る。つまり、理性や法や制度という「硬直したもの」を、欲望や本能といった「流れ」や「力」で破壊することを提唱する、あるいは、法や制度からの欲望や本能の解放を提唱する人物、と考えてしまいがちである。しかし、『アンチ・オイディプス』や『差異と反復』を読めばすぐに分かるように、そこでは、単なる欲望ではなく「欲望する機械」であり、差異というものも「構造化されている」差異なのである。つまりドゥルーズは、(本人が「構造主義とは何か」という小論も書いているように)本質的に「構造主義」を受容しているのであり、「人間中心主義」ではないのである。「無意識は言語のように構造化されている」(ラカン)というテーゼを受け入れているのであり、無意識に平板な秩序を粉砕するような神秘的な力を見る「人間主義」ではないのだ。そのようにして出来上がるドゥルーズ的世界は、欲望や差異の賛歌としての情熱と、それらが構造化されている様子を冷静に眺める静けさが、奇妙に入り混じっている。この冷静と情熱の――こういう表現はある大衆小説を思い出していやだが――混成が、ドゥルーズ的な外部性(差異・欲望)を特徴付けている。そのような外部性とは、フラン・ヴィタールとエラン・ヴィタールとが、対立したまま統一されている状態であり、それを花田清輝は、「情熱的に考えたり、理知的に感じたりしている状態」(「ユーモレスク」)と呼び、これが日本に最も欠けているという。つまり、「日本的なもの」を否定するのがこの外部性であり、「物自体」なのだ。花田は言う、日本では「知性の所有者といえば、例外なく、肉体を喪失し」、そして肉体の所有者は、「すべて知性とは縁を切り、肉体の奴隷となって、苦しんだり、悩んだりする」。そこには、情熱(エラン・ヴィタール)と知性(フラン・ヴィタール)との対立したままの統一はない。ドゥルーズが絶対的外部性を肯定する際の、その肯定の仕方は、このような「情熱的に考えたり、理知的に感じたりしている状態」である。さらに、次の点も強調しておいたほうがよいだろう、即ち、花田清輝が、自由(エラン・ヴィタール)と必然(フラン・ヴィタール)との超克が可能なのは、絶対的外部性としての「物自体」との「直接無媒介的対決」を遂行している限りにおいてのみだ、と語っているように(「ドン・ファン論」)、ドゥルーズにとっても、欲望と構造との対立が超克されるのは、絶対的外部性に直面している限りにおいてである、ということである。そのような外部性と直面する限りにおいて、人間主義も、「日本的なもの」も、モダニズムも、超えられるのである。それは決して安易なことではない。それは自我や他我といった「人間的なもの」を否定しなければならないのである。花田清輝はそれを「幾何学的・無機的なもの」に見た。彼は戦前、中野正剛と関わったり、彼の息子と一緒に雑誌を編集してそこに文章を書いたりしていた。これについて柄谷行人氏は「彼は「敵の陣営内」に入ってファシストと紛らわしい活動をも辞さなかった」「たぶん、彼はレーニンの「帝国主義戦争より革命へ」というテーゼを教条的に実践したのである」と評している(『近代日本の批評Ⅰ』)が、このとき彼は、次のようなことを言っている。タルターニャ(ルネッサンス期の数学者)は、「その生涯の門出において、魂と肉体とを切り裂かれていたのだ。この二つのものの調和に苦しむ余裕などいささかもなく、魂は純粋に魂として、肉体は純粋に肉体として、それぞれ生きることを強いられていたのだ。普通の人間なら人間性の回復を図るところだが、彼は逆に人間性を放棄することによって――この曖昧な装飾的概念に訣別することによって、非人間的な数学の厳密性を獲得したのである」(「群論」『復興期の精神』)。戦時中、国家が人間性をずたずたに切り裂いていた頃のことである。花田はそこで「人間性の回復」を図ろうとするのではなく、「人間性を放棄」する方向に、より一層進めようとするのである。昭和8年から10年頃に起こった「文芸復興期」では、それまでプロレタリア運動で抑圧されていた「人間性」が、それが壊滅することによって「復活」した。しかしこうして快復した「人間性」とは、まさにファシズムに受動的に追随するものなのであり、花田清輝が否定しようとしたのは、まさにこのような「人間性」であった。彼は次のように語っている。「ガロア群論を、新しい社会秩序の建設のために取り上げることは、おそらく乱暴であり、狂気に類することかもしれない。しかし、人情にまみれ、繁文縟礼にしばられ、まさに再組織の必要なときに当たって、なおも古い組織にしがみついている無数の人々を見るとき、果たして新しい組織の理論を思わないものがあるであろうか。さらにまた、再組織されたあとの壮大な形を描いて見せ、その不能性を証明されると、たちまち沈黙してしまうユートピストの群れを見るとき、問題の提起の仕方を逆にして、先ず組織の条件の探求を考えないものがあるであろうか。彼らの人間性を無視して、彼らに向かって突撃したい衝動を感じないものがあるであろうか。緑色の毒蛇の皮の付いている小さなナイフを魔女からもらわなくとも、既に魂は関係それ自身になり、肉体は物それ自身になり、心臓は犬にくれてやった私ではないか。(否、もはや「私」という「人間」はいないのである。)」(「群論」)自我や他我といった「人間的な物」を否定したあとに残るのは、「魂は関係それ自身になり、肉体は物それ自身になり、心臓は犬にくれてやった」ような「幾何学的・無機的」な存在である。「人間」の否定とはこういうことである。それは戦時中という過酷な条件だからこそ可能だったのかもしれない。しかし、こういう過酷さなくして、「人間」否定など意味がないのであり、ある意味では、「人間」を否定する発想は、このような経験から生まれたのである。そういう歴史性は無視してはいけない。そしてこのようにもはや「人間」ではなくなった存在によってこそ、花田清輝の言う「物自体」は探求されうるのである。そのような存在は、花田が『マザー・グース・メロディー』で取り上げている、ポーの『盗まれた手紙』のDという人物だろう。Dは政治家であり数学者であり詩人である。政治家としては「目的のためには手段を選ばない徹底したマキャベリスト」、数学者としては「微分学に関する独創的な研究家」、そして詩人としては「ナンセンス」を愛好し、「ボン・サンスの侮蔑の上に立つ、本当の悪人である彼は、現実の世界からは一歩も逃避せず、彼の周りに展開する、ナンセンスな現実の姿を、おそるるところなく、即物的に表現するに違いない。」このような存在が「物自体」に直面する「非人間」の姿である。人間がこのように「非人間化」し、「物自体」に直面することによってのみ、初めて「自由」と「必然」との超克ということが言えるのである。近代の超克、ポストモダニズムというものも、戦争によって顕在化した「人間の不在」という荒涼としたリアルな現実を率直に承認するところから始まる。人間ではない一つの「個体」、それらが織りなす諸関係、それのみが「存在」する冷たい世界――このような「限界状況」においてこそ初めて近代の超克、「人間」の克服というものに意味があるのである。この外部性の経験なくして、モダニズムの超克というものはあり得ない。


歴史と持続

『差異と反復』には、一見すると「歴史」がないように見える。ところで「歴史」とは何か? 従来の(そして今でも支配的な)歴史とは、「国家」の始まりから現在の「国家」の繁栄までを物語る「一国史」であり、そこでは、男が、支配的民族が、そして現在の支配者が主人公である。あるいは、古代ギリシアに始まり、中世の暗黒時代を経たあと、ルネッサンスによって再び活性化し、それ以降ずっと「真理」を拡大してきた諸学問の歴史(哲学史科学史、など)である。これら従来の歴史を「大文字の歴史」と呼ぼう。『差異と反復』には、確かにこのような「大文字の歴史」はない。ない、と言うよりは、むしろ否定されていると言う方が正しいだろう。それは謂わば「表象=イデオロギー」の歴史であり、ヘーゲル主義的な歴史である。それに対置されているのは「大文字の存在」(絶対的な内在平面――『哲学とは何か』の表現――)で繰り広げられる「個体」とその「差異的諸関係」であり、それは謂わば「小文字の歴史」である。このような絶対的な内在世界に存在するミクロな歴史――これがモダニズムを超克する上で見えてくる地平である。


これは歴史がないということではない。すべては変化する、ということでもない。大文字の歴史とは、始めと終わり(目的=テロス)をもつ線形的な歴史である。一国史の場合、それは「民族=国民」の形成と発展の歴史であり、科学史の場合、それは「真理」の発展の歴史である。小文字の歴史とは、あるいはフーコーのように「国民」あるいは「真理」という表象(イデオロギー)の発生する条件を探求する歴史であり、あるいはアナール学派のような社会史であり、あるいは様々なマイノリティ(女性、子供、同性愛、非抑圧民族、遊牧民、……)の歴史である。これらは、大文字の歴史を否定した後に開かれた地平である。さて、武田泰淳もまたその地平の一つを見いだしている、そして私は、ドゥルーズの見ている世界は、ちょうど武田泰淳の見ている歴史に近いと思う。


彼は戦時中に書かれた『司馬遷――史記の世界――』で次のような歴史観を語っている。

 

それでは一体、史記的世界における「持続」とは、如何なるものであろうか?
およそ個人にしても、血族にしても、集団にしても、持続が本能である。本能ではあるが、史記的世界では、この本能をとおすのが困難であった。しかし持続が困難なことは、「史記」では、栄枯盛衰、生者必滅的な意味、時間による変化の意味で問題にされているのではない。持続が、転換を含む持続であり、持続を書くことは非持続を書くことになるとは言え、それはときの流れに詠嘆する風に、考察されているのではない。持続すべきものが持続しないのを、ただ悲しむべき現象と見送るのではない。なるほど、持続を時間的に見れば、それは中断され、転換している。持続を個別的に考えれば、すべてはついに、持続し得ないのである。だが「史記」は持続を、そうは取り扱っていない。史記的世界では、持続は空間的に考えられている。全体的に考えられている。史記的世界は、「本紀」だけ、或は「世家」だけで、出来ているのではない。「列伝」「書」「表」、あらゆるものを包含して、持続しているのである。「史記」の問題にしているのは、史記的世界全体の持続である。個別的な非持続は、むしろ全体的持続を支えているといってよい。史記的世界は、あくまで空間的に構成された歴史世界であるから、その持続も空間的でなければならぬ。先に述べた、「世家」の自壊作用、相互中断作用にしても、すべては史記的世界全体の絶対持続を支え満たすものである。これは「史記」のどの部分を読んでもすぐに気付くことであり、どこから読み始めても、結局はこの絶対持続へ行き着くのである。この絶対持続へ行き着けるからこそ、史記的世界は、真に空間的なのである。(『司馬遷――史記の世界――』)

 

ここで彼は、「個別的な非持続は、むしろ全体的持続を支えている」と言っている。彼は上海で日本の敗戦を知り、その時彼は「敗戦=滅亡」という「限界状況」に直面したのだが、彼は上の認識を後に次のように語っている「戦争によってある国が滅亡し消滅するのは、世界という生物の肉体のちょっとした消化作用であり、月経現象であり、あくびでさえある。世界の胎内で数個あるいは数十個の民族が争い、消滅し合うのは、世界にとっては、血液の循環をよくするための内臓運動に過ぎない。」(「滅亡について」)彼はこの認識によって、敗戦のショックを慰めた(「限界状況における人間」)。しかし「慰めた」という表現は少しおかしい。ここで武田泰淳は、ある意味で「堕落」(坂口安吾)しようとしているのだと言える。滅亡とは「国家」という超越的存在が滅亡したに過ぎぬ、人々は生きているのである。武田は上のような認識で実は否定しようとしたのであり、それは、「国家」という超越的価値の喪失を嘆くニヒリズムあるいはロマンティシズムだったと言える。このようなロマンティシズムを否定することが、武田にとって自分を「慰める」ことであった。


さて、私は「史記」という書物を殆ど知らないし、『司馬遷』という本も、他の武田泰淳の文章と比較して目に付いた重要な点を読んでいるだけである。それでも、上の彼の歴史観は本質的である。つまり、世界には多数の持続があり、その各々が、様々なリズムで切断(非持続)するが、しかしそれは、世界全体の「絶対的持続」を支えているのである。これはドゥルーズが、大文字の存在(絶対的内在平面)の上に、様々な個体を配置するのと同じだろう。このような地平から見たとき、「大文字の歴史」とは、数ある持続の内の一つの持続に過ぎず、それが切断されたとしても、それはより大きな「絶対的持続」の一つの現われに過ぎない。


このような歴史像が、諸行無常の詠嘆と異なるのは言うまでもない。多様な持続がある、そしてその持続とは、「転換を含む持続であり、持続を書くことは非持続を書くことになる」のである。既に語ったように、持続が転換=切断されるとき、人はショックを受ける、あるいは挫折する。「日本的な」無常観とは、このようなショックや挫折を経験しないための装置であり、それはまさに、持続なき変化、ただ変化のみがある世界である。そこには歴史はない。武田泰淳の語る「歴史」とは、持続があり、しかもそれが切断され、尚かつそのような持続と切断が多様に複数展開する世界である。ショックや挫折を経験しながらも、そのような個別的な挫折など、世界全体の持続(絶対的持続)のうちの単なる一つ、単なる「あくび」に過ぎなくするような、広大な歴史である。このような歴史観は、確かに醒めた認識である。しかし醒めた認識が必要なのは、生きるためである、「堕落」するためである、これは忘れてはいけない。

 


詩的精神と散文精神

多様な持続と切断が多数共存する世界=歴史――私は、これがドゥルーズ的世界であると同時に、彼の方法でもあると思う。「持続」を「思想」と言い換え、「多様な思想が多数共存する世界」、と言えば、これこそまさにドゥルーズ的世界だと言える。
さて、ここで再び「日本的なもの」との対決である。我々はしばしば、ユダヤキリスト教的な一神教の「非寛容」に比べ、日本やその他の地域の多神教の「寛容」が礼賛される言説を聞かされる。一神教の「厳格さ」に比べ、多神教の「柔軟さ」が礼賛される。一神教よりも多神教のほうが、「多様な思想を受容する」と言われているのだ。このような多神教と、ドゥルーズ=武田的な「多様性」とを区別しなければならない。
坂口安吾は、フローベールの『感情教育』を読みながらドストエフスキーを思い出したと語り、次のように両者の差異を語る。

 

フロウベエルはドストエフスキーと殆ど似通った人間関係を掴みだしていながら、彼の対象に食い込む興味は殆ど恋情とそれに絡まる野心とだけに限られているように見える。アルヌウとフレデリックの錯雑を極めた人間関係やデロオリエとの増愛に満ちた友愛や、その奥に潜むところの生命の秘密ともいうべきところの野心や懊悩、そういうものは素材として掴み出され提出されていながら、彼の描写の興味は殆どそれに向けられていない。いわば恋情に向けられた激しい興味の派生的な筆力によって格好良くまとめられているようなものである。
ドストエフスキーであったら――私は読みながら幾度そう考えたかしれなかった。恐らくドストエフスキーであったら恋といわず友愛といわずただただ人間関係としてのその各々にひたむきに食い込んでいったであろう。そうして斯様に雑多なまた錯雑を極めた人間関係の追求によって、人生の秘密であるところの生命欲や恋情や野望や抽象的な絶望や救いが、小説の結果としてやや鮮明に描きあげられてくるのだろうと思われたのだ。(「フロウベエル雑感」)

 

つまり、フローベールは恋や野心のみを描き、他の人間関係は形式的に描かれているのみだが、これがドストエフスキーだったら、恋や野心だけではなく、生命欲・恋・野望・抽象的な絶望・救い、などなど、あらゆる人間関係に付き物の要素をただただひたむきに描いていっただろう、というのである。


私はここで言われているドストエフスキーの態度に、ドゥルーズ=武田に通じるものがあると思う。武田泰淳の小説では、あらゆる思想が、それこそくどいほどとことん追求され、描かれている。格好良く思想を調理し、まとめる、などという姿勢はそこには全くない。誤っているかもしれなくとも、無駄かもしれなくとも、とにかくある思想のうちに自分の目に留まったものを、とことん描いていくのである。そんな風に、とことん没頭することで描かれた思想が、彼の小説では、複数「共存」しているのだ。言い換えれば、持続あっての「思想」が、多数「共存」している、ということである。私は、ドゥルーズが、ベルクソン、カント、ニーチェスピノザライプニッツフーコー、とそれぞれの人物について一つの著作を発表していった、その態度のうちに、武田泰淳ドストエフスキーのように、とことん「思想=人間関係」を追求する姿勢を見いだす。彼らの多様性とは、そのようにとことん対象に没入し、自己を滅却しながら対象を受容した結果、始めて生まれる「多様性」なのである。持続を通じての「多様性」、自己否定を媒介としての「多様性」、と言ってもよいだろう。私は常々、このような態度を「散文精神」と呼んできた。散文精神に対立するのは「詩的精神」であり、ここでは、フローベールの態度がそれである。


散文精神や詩的精神という言葉は、戦前によく使われた。例えば、芥川龍之介谷崎潤一郎との論争や、廣津和郎と有島武郎との論争で、それが中心テーマとなった。前者の論争では、芥川の「詩的精神」(=「話し」のない小説、通俗的興味のない小説)に、谷崎の「散文精神」(=構成力)が対立し、後者の論戦では、有島の「詩的精神」(自己の芸術に没頭して余念のない人)に、廣津の「散文精神」(自己の生活とその周囲とに常に関心なくしてはいきられない人)が対立する。私はもっぱら、芥川的な「詩的精神」を否定するために「散文精神」という用語を用いている。


芥川は、「通俗的興味のない小説」を語る際、次のような喩えを用いている。「僕は今日往来に立ち、車夫と運転手との喧嘩を眺めていた。のみならずある興味を感じた。この興味はなんであろう? 僕はどう考えてみても、芝居の喧嘩を見るときの興味と違うとは考えられない。もし違っているとすれば、芝居の喧嘩は僕の上へ危険をもたらさないにもかかわらず、往来の喧嘩はいつ何時危険をもたらすかも分からないことである。僕はこういう興味を与える文芸を否定するものではない。しかしこういう興味よりも高い興味のあることを信じている。」(「文芸的な、余りに文芸的な」)つまり芥川は、車夫と運転手との喧嘩を芝居を眺めるように見ており、その時自分の心に湧いた「興味」を重視するのである。この「興味」こそ「詩」である。私は、ドストエフスキー武田泰淳や、あるいは谷崎潤一郎だったら、そんな「興味」など書かず、徹底して車夫と運転手との喧嘩を描くだろうし、その喧嘩に行き着くまでのプロセスをとことん描写するだろうと思う。それが「散文」である。芥川はそれをしない。私が想像するに、同じく思想を扱うにしても、芥川龍之介は、武田やドストエフスキーのようにとことん思想に没頭し思想を描こうとはせず、思想を手際よく整理してうまい具合に結論を出すと思う。芥川は、思想を遠くから眺め、その特徴をうまく抽出し、それを二行から三行でまとめて語るだろうと思う。ドストエフスキーや武田のように、数十ページ、あるいは百ページなどかけて一つの思想など語らないだろうと思う。芥川ももちろん多数の思想を自らのうちに共存させているだろう。しかしその共存とは、武田泰淳ドストエフスキーのような「共存」とは異なるはずだ。そして私は、似ているようでまったく異なるこの二つの「共存」あるいは「多様性」を問題としているのであり、芥川的な共存が「日本的な」多神教として語られる多様性であり、それは、ドストエフスキー武田泰淳的な「共存」とはまったく異なるのである。詩的精神における多様性と、散文精神における「多様性」は異なるのだ。そして私は、真の多様性は後者にあると思う。
私は、ドゥルーズの多様性とは、まさにドストエフスキー武田泰淳的な「多様性」だと思う。それは「散文精神」のたまものである。多様性とは、先ずは自己否定を介して他者をとことん追求し、他者に没頭し、他者を受容するところから始まる。そこには他者のもとにあって自己を喪失するという明確な「持続」が存在する。そしてその「持続」が終えるときに、初めて人は全人間的に他者を受容したことになるのであり、「多様性」とは、このような苦痛にあふれるプロセスを何度も経験したときに生まれるのだ。芥川的な多様性、即ち「日本的な」多様性はこれとはまったく逆で、それは先ずは他者の拒絶から始まる。他者を拒絶し、自己を維持する。彼は他者に決して没頭しない、それ故自己を喪失して他者を経験するという「持続」も存在しない。そこには苦痛もなければ、ショックもない。芥川的な多様性とは、こうして生まれる。それは他者を拒絶し、他者を遠くから眺めているだけで得られる多様性である。これは全くの偽物なのである。


最後に

そろそろまとめようと思うが、途中で語ったように、私は『差異と反復』を「日本的なもの=ポストモダン」批判として理解したのであり、所謂ポストモダニズムを宣言する著と言われている『差異と反復』の理解の仕方としては、非常にねじれたものだと思う。しかしこのねじれは、あるいは必然的なのかもしれない。


所謂「日本的なもの」とは「プレモダンなもの」であり、例えば、個に対する全体(「世間」「集団主義」)、存在に対する生成、一神教に対する多神教、線形的な歴史に対する循環する歴史、合理性に対する非合理性である。モダニズムが、それぞれの項の後者よりも前者のほう(例えば生成よりも存在)がいいとする価値観であったのに対し、ポストモダニズムとは、前者よりも後者のほう(例えば存在よりも生成)がいいとする価値観である。これはヨーロッパの文脈である。


日本では、明治以降モダニズムを目指してきた。「生成」よりも「存在」を重視してきた。ところが日本が西洋を知り始めた時期というのは、ヨーロッパではモダニズムに対する懐疑が生まれた時期、つまり一種の「ポストモダニズム」の時期だったのである。それはニーチェのように世紀末に準備されていたが、大規模に現われるのは第一次世界大戦後である。ヨーロッパ的「理性」を超えるものを「未開」に求めたり、あるいは中世的・古代的シンボリズムに求めたりする。つまり、「存在」よりも「生成」を重視し始める。既に交通が発達し、西洋の動向をほぼ同時代的に知りうるようになっていた日本人は、今まで自分たちが否定してきた「生成」が、西洋人に認められていることに気付き出す。「思想」を受容する際のねじれは、近いところではここに起因していると見てよい。


「古い」日本人(例えば西洋の19世紀文学をモデルとしている日本人)は、今まで通り、「生成」よりも「存在」を優位におこうとする。しかしそれは、「新しい」日本人あるいは西洋通を自認する日本人からは、「古い」と揶揄される、西洋では既に「生成」のほうが優位にあるのだ、と。そしてこの「新しい」日本人は、「生成」を礼賛し、そのまま「日本的なもの」を肯定してナショナリストになっていく(オリエンタリズムの論理)。西洋で生まれた「思想」を受容することは、ここで困難になった。西洋思想をそのまま受容することが、人々の解放を約束するのではなく、むしろナショナリズムを促進し、人々を抑圧する言説に転化してしまうからである。


特に意識したわけではないのだが、私が語ってきた武田泰淳花田清輝坂口安吾といった人物は、ヨーロッパが既に「ポストモダニズム」を語り、日本国内では、「日本的なもの」が再認識されて復活し、ファシズムを支え始めていたときを生きた人々であった。彼らは単なるモダニストではない。実際、武田泰淳は、当時日本が見下していた「中国」を思想の拠り所とし、花田清輝アルチュセール廣松渉によって後に「近代の超克者」と見なされる「マルクス」を思想の拠り所とし、また坂口安吾も、「ファルス」といったモダニズムでは割り切れないものを思想の拠り所としたのである。そのように、彼らは単なるモダニズムには疑問を持っている人々であった。それでいながら、彼らはナショナリストのように「日本的なもの」を肯定することはなく、逆にそれを徹底的に批判する立場にいた。例えば戦後直後の丸山真男のように、モダニズムの立場から「日本的なもの」を否定するのは比較的容易である。しかし我々は時として、その容易さに眩惑され、批判する上での条件や根拠を見失ってしまう。そのため、西洋が「ポストモダニズム」を主張し始めると、途端に何を言っていいのか分からなくなってしまう、ということにもなる。武田泰淳花田清輝坂口安吾といった人物は、ある意味でそういう困難から出発したのであり、その際彼らが拠り所としたのは、単なるモダニズムではない「何か」であった。その「何か」によって彼らは「日本的なもの」を批判することが出来た。おそらく私がドゥルーズの『差異と反復』において見たのも、その「何か」であったのだと思う。それは特にドゥルーズでなくともよかったのかもしれないが、ともかく私は、『差異と反復』において、「日本的なもの」を否定する「何か」を見た。その「何か」こそが、坂口安吾のファルスや「文学のふるさと」であり、花田清輝の「ガルゲン・フモール」や「物自体」であり、武田泰淳の「限界状況」や「諸行無常」や『司馬遷』で示された「多様な持続と切断が多数共存する」歴史観である。
この「何か」は、テクストの内部を読んでいたのでは分からない。所謂哲学研究者とは、このテクスト「内部」を読んで整理して発表する人間である。しかしこの「何か」をつかむには、むしろテクストの「外部」を読まなければならないのであり、これはむしろ文学的な課題である。例えば、私がおこなってきたのは、テクストを通じてそのテクストを書いている「人物」を見る、そしてドゥルーズという人物は誰に似ているかを探ることであった。これはテクスト「内部」を読み、哲学史における概念の発展などを論じたり、概念の内容を理解し説明することとはまったく異なる。けれども、私はそういう「外部」を読んでいくことによってでしか、あの「何か」というのは捉えられないのではないかと思う。むろん、以上のような小論では、まったくその「何か」を捉えているとは思えない。社会的・歴史的考察がまったく抜け落ちているから。しかし、認識は、たとえ間違っていたとしても、ないよりはいい。私は、ドゥルーズを語るための私なりの条件を、取り敢えず示した。