Quatre Amoursの日記

一人のクリスチャンが聖書や社会について考える

外国人労働者の受け入れ問題まとめ

日本の労働者人口の減少と外国人労働者受け入れに関するニュースが出てくるようになって、個人的にその都度保存していた記事を整理してみようと思う。

賛成か反対か以前に、「そもそも外国人労働者は日本に来てくれるのか?」を議論している記事がある。

「なぜ日本には外国人労働者が殺到しないのか
日本の「働く国としての魅力」は61カ国中52位」
https://toyokeizai.net/articles/-/166473?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related

この記事では、IMD(国際経営開発研究所)のWorld Talent Reportの2016年の調査をもとに議論をしている。その調査によると、日本は調査対象国の中で、働く国としての魅力が61か国中の52位だという。その理由の主なものは、長時間労働、評価基準の不透明さ、言語の問題、給与水準の低さである。
これは結構大切な指摘である。つまり、仮に日本が外国人労働者の受け入れを拡大したとしても、そもそも日本で働きたいという労働者はそれほどいないということを意味しているからである。「みなさん、どうぞ自由に日本に来て、働いてください!」と言っても、行きたい人間はそれほどいない、ということである。

この論点を別な調査をもとに議論しているのが、神戸国際大学経済学部教授の中村先生である。中村先生は、アメリカの調査会社ギャラップによる調査結果をもとにしながら、日本はそもそも移住したい国ではないと話している。
「低学歴の外国人単純労働者をかき集める国」で未来は拓けるのか
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20181220-00108307/

今回の外国人労働者受け入れ(入国管理法改正案)は、サービス業、介護、製造業、農業などの分野での人材の拡大を目的としている。いずれも、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)労働に相当する。だとすると、政府・経団連としては、その分野に関しては、日本の中小企業は労働者を必要としており、また、そこで働きたいと考えている外国人が少なからず存在すると予測しているのだと思われる。言い換えれば、今回の改正案は、その種の3K労働を担う日本人が少ない(いない)ので、外国人に働いてもらおう、ということなのだろう。

ところが、橘玲さんの「外国人労働者『問題』の大きな勘違い」によると、そのような職種においても、「ジャパン・パッシング」は生じていることを指摘していて、興味深い。
外国人労働者「問題」の大きな勘違い
https://news.yahoo.co.jp/byline/tachibanaakira/20181225-00108496/

理由は単純で、賃金が低いからである。フィリピン人なら英語はできるので、アメリカ・カナダ・オーストラリアに行くのが当然楽だろう。そちらの国々の方が賃金が高く、人権が守られ、永住権も取得できるからである。昨年末の国会論戦で、外国人技能実習制度の調査で明らかになったように、日本では、基本的人権も守られず、賃金も安い。永住権もない。わざわざ日本語を勉強しても、それは日本でしか通用しない。フィリピン人の立場からすると、努力に対する報酬が見合っていないと考えられて当然だろう。となると、わざわざ日本に行って、日本人がしたがらない仕事をするインセンティブはないだろう。

日本が外国人労働者に門戸開放したとしても、日本が選ばれない理由をまとめると、次のようになるだろう。

・3Kの職場
・日本的労働慣習(長時間労働・評価基準の不透明さ)
基本的人権が守られない
・低賃金
・言語の特殊性(日本でしか通用しない)

考えてみると、上記の特徴は、特にここ最近の事象ではない。これらは昔からその種の職種では見られていた問題であった。一番最後の言語の問題を除くと、それらは日本人にとっても同じように当てはまる事柄である。そして、日本人労働者がそうした職種に就かないのは、きわめて合理的であると言える。問題は、日本人が見放しているそのような職種に、外国人が就くのか、という点である。
80年代やかろうじて90年代のように、日本がまだ国際的に高い経済的地位にあった時なら、上記の特徴があったとしても日本に来て働くメリットはあったのかもしれない。しかし、「失われた30年」ともいわれる時間を通じて、日本の国際的地位は低下し、「ジャパン・パッシング」が自明となってきた。そうした国際環境の中で、上記のデメリットを承知の上で日本に来るメリットは低下しているのだと思う。
それに加えて、上述の中村先生は、SNSでの情報拡散によって、日本の労働環境が諸外国に知れ渡っていることを指摘している。それもまた90年代までにはなかった事柄である。労働者としての権利が守られないことが知れ渡り、それと同時に(他の先進国に比べて)低賃金であるなら、ますます日本に来るインセンティブはなくなる。
従って、上の諸理由に加えて、次の二点も加えなければならない。

・日本の経済的な国際的地位の低下
ソーシャルメディアの発展に伴う情報の共有化

これらは2000年代以降に顕著になる原因だろう。このことに無自覚な人々が、80年代や90年代の意識のままでいることで、「日本で働けるなら、3Kの職業だってかまわず、多くの外国人がやってくるだろう!」と思い、今回の入管法改正実現へと向かっていったのではないか、と思われる。ところが、上記の二点に気付いている人々は、とてもそんな風に思うことはできないだろう。

今回の記事のリストにはないけれど、私が学生であったとき(2000年代)にすでに、優秀な学生は海外に行ったり、外資に就職した。それはその後ますます進んでいると思う。大学院以上の学生たちにとっては、「ジャパン・パッシング」というのは、すでに自明となっている。つまり、日本企業の生産性、成長見込みが低く、日本企業の賃金が低く、イノベーションの期待も低く、その割には、かつてもてはやされた「日本型経営」から脱却することがないので、日本企業に就職することは、まるで沈没する船に乗ったまま、なすすべもなく自らも沈没していくのを傍観するしかない立場になるようなことなので、そうなりたくないものは、自ら起業するか、海外に行くかするしかない、というような雰囲気である。大学院以上の人々は、いわゆる「高度な人材」ということになるだろうが、日本企業をほとんど諦めている。日本人である「高度な人材」が日本を見放しているのならば、諸外国の「高度な人材」が日本を見放すことに、おかしいことはない。諸外国の「高度な人材」にとっては、日本はすでに「パッシング」の対象でしかないのである。

3Kの職種でも「高度な人材」でも、「ジャパン・パッシング」は起こっている。両者ともに、理由は共通している。上記で上げたものがそのまま妥当する。

・3Kの職場
・日本的労働慣習(長時間労働・評価基準の不透明さ)
基本的人権が守られない
・低賃金
・言語の特殊性(日本でしか通用しない)
・日本の経済的な国際的地位の低下
ソーシャルメディアの発展に伴う情報の共有化

そして、上記の2番目から4番目については、近年「ブラック企業」や「低生産性」の問題として扱われることが多い。つまり、低生産性を改善できるにも拘らず、「経営者の無能」のためにそれができず、そのためにその組織での労働が「ブラック」となってしまう、ということである。あるいは逆に、労働が「ブラック」であることを改めようとしないために、低生産性が温存されてしまう、とも言うことができる。そして、いくつかの記事は、「ブラック企業の温存」と「低生産性」と「経営者の無能」と「日本経済の沈下」を結びつけながら議論している。そこから伺われるのは、2000年代以降明らかになってきたジャパン・パッシングの原因は、ブラック企業体質の温存(労働者の権利保護の放棄)、生産性向上への努力放棄なのではないか、ということであり、言い換えれば、無能な経営者とそれを守る政府という組み合わせが、日本の国際的競争力低下を導いているのではないか、という推測である。

こうした点を強く語っているのが、古賀茂明さんである。
「安倍政権の外国人単純労働者の受け入れ拡大は経団連のための低賃金政策だ」
https://dot.asahi.com/dot/2018111800012.html
「就活ルール廃止と外国人労働者拡大を叫ぶ無能な経団連経営者たち」
https://dot.asahi.com/dot/2018120200006.html

古賀さんの言っていることを私なりにまとめてみる。まず、「日本的労働慣習(長時間労働・評価基準の不透明さ)+基本的人権(労働者の権利)の無視+低賃金」を「ブラック企業」と定義する。高度成長期の日本は、基本はこの「ブラック企業」であったが、それでも経済が成長していたので、それなりに有効性を持っていた。ところが、90年代、2000年代以降のIT革命、あるいはICT革命に対して、日本の経営者が乗り遅れることで、かつては経済成長において有効であったブラック企業の慣習が、不経済なシステムになってしまった。にもかかわらず、ブラック企業状態を温存させる無能な経営者が相変わらず経営をしており、その経営者たちの団体である経団連と、その経団連を支持母体とする自民党が、従来からの経営慣行をそのまま維持しようとし、その結果、低生産性は維持され、ブラック企業体質も温存されている。この状態のままでは、日本はますます「パッシング」の対象となり、沈みゆく。さらに言えば、労働者の賃金は上がらないので、国内の有効需要は低いままとなり、輸出に依存するようになり、労働はブラックになるが、生活は豊かにはならないという結果に至る。

ここで、議論はアベノミクスとも関連する。アベノミクスの効果については言及しないが、従来からアベノミクスを支持してきた高橋洋一氏が、今回の外国人労働者の受け入れ拡大に対して批判的であることは注意される。
外国人労働者受け入れ拡大は賃金上昇を台無しにしかねない“愚策”だ
https://diamond.jp/articles/-/185535
入管難民法改正案~「外国人労働者が増えれば賃金は上がらない」という事実
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181129-00010002-nshaberu-soci
アベノミクスのインフレ誘導とそれによる実質賃金の低下という批判に対して、実質賃金の上昇は遅れて実現されると主張していたのが高橋氏であった。日本のブラック企業体質のもとで働きたくない人が増えたことで「人手不足」と言われ、その「不足」を外国人労働者の受け入れで補おうというのが政府・経団連の考えだが、それをしてしまうと、生産性が低く低賃金な職種がそのまま温存されてしまう。それでは、賃金上昇が実現されないのである。こうして、入管法改正というのは、従来のアベノミクスの政策方針からも逸脱している政策であることになる。

外国人労働者を受け入れることは、賃金上昇を妨げるので、日本人の労働者にとってもデメリットになる。こうした点を指摘する記事は多かった。
外国人労働者受け入れが日本人労働者にとってデメリットしかない理由
https://diamond.jp/articles/-/185575
外国人労働者の受け入れで、企業は幸せだが日本人労働者は不幸に
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-00008443-toushin-bus_all

さらに、日本人の労働者の賃金が下がることから不満が、外国人に向かい、それによって人種間問題・民族対立を生み出す危険性が指定されている。
外国人労働者受け入れ拡大に、スリランカ出身の社会学者が「待った!」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-00010038-nshaberu-soci
外国人材法案はブラック業界を助長し日本に新たな人権問題を生む
https://diamond.jp/articles/-/187621


まとめ

少子高齢化の進展と日本人の就業者人口の減少に伴い「人手不足」が喧伝され、それに対する対策として外国人労働者の受け入れ拡大(入国管理法改正)が、政府と経団連によって主張され、実行された。
これに対する当初の反応は、技能実習生制度がいかに人権無視の労働環境を温存しているかを明らかにし、それを批判するものだった。
ところが、「人手不足」と言われる場合に、その言葉で言われている「実態」は何かが問題になり始める。そこで浮き彫りとされるのは、生産性向上を企図しようとせず、従来通りの働かせ方をそのまま維持しようとする「無能な経営者」と、その経営者によって経営される「ブラック企業」であった。となると、「人手不足」というのは、社会の構造的な問題(自然現象と同じように、不可避の現象)ではなく、経営者の経営者としての責任を放棄した結果生まれる「泣き言」に過ぎないのではないか、つまり、単なる経営者の「怠惰」を温存するだけになるのではないか、という考えに至る。
そして、ことは3Kのような仕事だけではなく、日本のあらゆる業界においてあてはまるものだという考えが成り立つ。あらゆる業界で「無能な経営者」を守ろうとするために、日本は生産性の低い状態のままになり、「失われた10年」を延長させ続け、ついには「失われた30年」を招いてしまったのではないか? そして、政府も経団連も、「無能な経営者」と「ブラック企業」を温存させ、生産性も低ければ、労働者の生活も向上させない社会を存続させ続けることになるのではないか? 生産性も低く、イノベーションもなく、人々が生活上の豊かさを感じられない社会を、そして、世界の中で衰退していくしかない国でありつづけるのではないか? 外国人労働者の受け入れ拡大の問題は、こうした戦後の日本経済全体の構造(「日本型経営」)の見直し、そして「失われた30年」との関連でも議論されるようになった。

そうした中で、私自身が腑に落ちないのは、「外国人労働者の受け入れ拡大をすれば、どんなにブラックな職場でも、「日本で働けるなら!」という思いで日本に来る外国人はたくさんいる」と考えている人々が多いことである。
日本という国が、労働環境としてそれほど魅力的ではないという指摘は、この記事の最初の方で取り上げていた。
客観的には、日本は労働者の国としては魅力的ではない。特に、外国人にとってはそうではないだろう。
にもかかわらず、「魅力的だ!」と考えている人が日本に入る。
なぜそのように考えることができるのか、ということが私にはわからない。
これはやはり「世代」の問題なのだろうか?
ジャパン・アズ・ナンバーワン」を体験している世代なら、日本で働くことに希望を抱く外国人がたくさんいるという「幻想」を抱くことはできるだろう。
しかし、そういうものを体験しておらず、「失われた30年」しか体験していない世代には、日本という国が世界の中心であるかのように思うことは当然できないし、客観的にもそうではない。そういう世代にとっては、「外国人(特に、アジアの貧しい国々の人々)は日本で働きがっているはずだ!」という考えが、根拠ない傲慢にしか思えないだろう。私には、そのような根拠のない傲慢さが、つまり、かつて「日本型経営」がもてはやされてそれを真に受けて生きてきた世代が、自らを改革することができず、生産性の向上、イノベーションを阻害しているのではないか、と疑っている。
最近の記事では、かつてゴールドマンサックスにいたアナリストの意見が、私にはまことに的を射たものに思われた。
人手不足は「労働条件が酷い」会社の泣き言だ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190118-00260296-toyo-bus_all

だから、今は、政府が労働者の権利を守る政策をすることが「経済成長への道」であるという皮肉な状況にあるのだと思う。労働者の権利を守り、賃金をしっかり払わせ、休日もしっかりとるようにさせ、残業代をしっかり払わせる。それができない場合には、経営者に退いてもらう。そして、もっと有能な経営者に経営してもらう。労働者を搾取しながら「利益」を上げる経営者は「有能」なのではなく、低い生産性を温存し続けているという意味で「無能」なのである。そうした「無能」な経営者はやめていただくのが、真実に経済成長するための道だと思う。だから、現状は、労働者の権利、人間の基本的権利を厳格に守ることが「経済成長につながる」という、資本家にとっては皮肉な状況である。